道具とおもいで
こんばんは。
今日は原料や道具を買いにいってきました。
行き先は、瀬戸市にある「村上金物店さん」です。
初めての長距離ドライブ!
エンジンのかけ方も忘れていた為、助手席の母に教わりながら、なんとか出発しました🚙
四車線の交差点での右折に悲鳴、クラクションを鳴らされつつ、途中交代し、やっと到着…!!
来てよかった〜✨✨
道具によっては同じものでも個性がある為、実際にみて確かめたいと思っていました✨
手に取ってみると、同じ道具でもなじみ具合が違ったりします。数ある中から、「これだ!」というものを探し出す。種類の豊富さも相まって、宝探しのようにワクワクしてきます😊
店主さんとお話ししたところ、道具を触って確かめたい方も多いそう。
細かい作業をしている時に感じるのは、道具は“自分の身体の延長線”ということです。自分の一部のようになめらかに使える道具は、イメージを立体におこす上でとても力を貸してくれます✨
道具ひとつで作品の見え方は変わってくることを知ったのは、美術大学の受験対策をしていた高校生のときでした。絵にしても、造形にしても、最初のひと動作の段階では「本当に完成するのだろうか」という不安を感じていたのを覚えています。2度目の動作からは、ただ作品と向き合い、無心に手を動かす…
気がついた時には何時間も経っており、時間の蓄積が作品として目の前に現れている…
使い勝手の良い道具によって、目指す状態へと作り込む為に、費やす時間も変わってきますよね。
記憶に残っている道具がひとつあります。着彩の際に使っていた“則妙”という筆です。
画塾の先生に教えていただき、購入したもの✨いま振り返ると、受験期の水彩はあの筆一本で乗りきったと言っても過言ではありません。極細の線もなめらかに描けるステキな筆でした🌸
画材屋さんで手に入れた筆をお披露目にいった私に、筆の穂の1番長い毛をさして先生はおっしゃいました。
「これは“命毛”というんだよ。使っているうちに無くなっていくんだ。」
あれから10年以上経ちました。
今でもあの時の則妙は手元にあります。命毛はもう無いに等しく、あの頃のような線を描くことはできないでしょう。自分にとって使いやすい道具を持つこと。道具にも寿命がある為、大切に使うこと。絵や模刻の技術だけでなく、学ばせていた、大好きな画塾でした。昔のことを書いていると、ぽつぽつと、色々な記憶が蘇ってきます。芸術の世界に足をふみいれた頃。ここまでの道のりの、始まりともいえる頃ですが、10年経つとすっかり記憶の奥へと沈んでしまっている想い出も多いものです。ひょんな機会にふと思い出すと、懐かしいですね。
“ 思ひ出すとは忘るるか
思ひ出さずや忘れねば ”
「閑吟集」にそんな歌がありました。
“思い出す、というのは忘れていた証拠。忘れていなければ思い出すことはない”というわけです。(これは恋の歌で、“私は思い出したりしない、忘れたりなぞしないから”というニュアンスの為、内容は当てはまりませんが)
「思い出した、ということは忘れてしまっていたんだな…」と考えながら思い出しました。逆説的でおもしろく、好きな歌のひとつです🌸
閑吟集では“一期は夢よ だだ狂へ”をご存知の方が多いでしょうか。木原敏江先生の「摩利と新吾」に登場する“水に降る雪”も閑吟集の歌です。
話が脱線してしまいましたが、
原料と道具もたくさん積んで、帰りは家まで運転しました😊1時間以上の初ドライブ、無事帰宅です。試したいことも出てきたので、明日は色々と手を動かしてみようと思います✨
明日も良い一日となりますように。
それでは、おやすみなさい🌙
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